一目惚れとはいわないけれど



 真田幸村と対戦したことは、ただ一度しかない。
 甲斐に虎と、若き紅い虎がいると聞いて興味を持ち戦を仕掛けた。そして門を守る紅い衣に身を包んだ若虎―――幸村の姿を始めて間近で見た時には歓喜したものだ。強いものは一目見ればわかる。幸村は強い。噂を聞いてわざわざ甲斐くんだりにまで来たかいがあった、と。
 実際手合わせしてますますその思いは強くなった。あれほど己の力を出し尽くした戦いなど元親はついぞ記憶にない。結果として己は負けてしまったが―――あれほど晴れ晴れとした気持ちで敗北を認めることができるなんて経験は後にも先にもないだろう。
 こんな気持ちのまま死ねるのならば悔いはない。そう思っていたが、幸村の主人である信玄公はおおらかな人柄で、今後甲斐に従えば命は奪わないと言われて元親は頷いた。民の安全を思う気持ちもあったし、この最強主従ともっと話してみたいという気持ちもあった。
 そして今後の細かなことを信玄と話し合い、ついでに少々顔を見たいと思い幸村の下を訪れたのだが―――。
 「・・・・・・。」
 元親は、ひくりと頬を引き攣らせる。目の前には、やけにキラキラと目を光らせた幸村の姿。
 「・・・あの、な?幸村。」
 「ハイッ!」
 名前を呼ぶだけで、元気一杯の返事が耳に響く。その表情、声、全身から元親に対する尊敬の気持ちがありありと伝わってきて元親は戸惑った。
 本当に、会ったのは一度だけなのだ。その上内容は己の命をかけた真剣勝負。刃と殺気を向けた覚えはあるが、ここまで慕われるようなことをした覚えはない。まして元親は敗者だというのに。
 どうしたものか、と思いあぐねて、結局元親は真正面から幸村に聞くことにした。
 「・・・俺はお前に何かしたか?」
 元親の問いに幸村は心もち首を傾げてパチパチと目を瞬かせる。上手く意味が伝わなかったらしい。もう一度己の意図を伝えるために口を開く。
 「だから・・・何つーかな。お前からそんなに親しまれるような真似をした覚えはないんだが?」
 「も、申し訳ござらん!某、元親殿にお逢いできたのが嬉しくてつい馴れ馴れしい真似を・・・!」
 「違ぇ違ぇ。怒ってるわけじゃねぇよ。ただ不思議だっただけだ。」
 目に見えて慌てだす幸村の頭を掴んでガシガシと乱暴に撫でる。騒がしい男であることに変わりはないが、戦場での幸村と今の幸村ではイメージのギャップが激しくてどう接したものか決めかねた。
 ともかくも質問の答えを促すと、今までずっと真直ぐに元親を見詰めてきた目が初めて伏せられる。そうすれば睫が思ったよりも長いのだと初めて気付いた。
 「その・・・某、嬉しかったのでござる。」
 それは聞いた、とは言わないでおいた。幸村は視線をあちらこちらに移しながら必死に言葉を捜している。
 「元親殿はお強い。西海の鬼の噂は聞いておりましたがあれほどまでとは・・・。それほどまでのつわものと出会えたこと、そして全力で戦えたことが、この幸村、至上の幸せにございまする。再び元親殿と会えると聞いて、今日という日を楽しみにしておりました。・・・元親殿?どうかなされましたか?」
 いつのまにか片手で顔の半分を覆ってあらぬ方向を向いている元親に気付き、幸村は慌てて手を伸ばした。しかしその手が触れる前に、空いた方の手で元親は幸村のそれを掴む。
 顔なんて見せられない。今の己の顔は興奮して赤くなっている幸村の頬よりも更に赤い筈だから。
 「・・・お前、性質悪ぃな。」
 唸るように低く告げた言葉は届かなかったらしい。幸村はひたすら不思議そうに元親の様子を窺っている。
 何というか―――若い。男から慕われることには慣れているが、幸村はあまりにもそれを真直ぐに衒いもなく元親にぶつけてくる。不意をつかれたこともあって、その言葉は強く元親の心に響いた。
 「・・・やべぇよなぁ。」
 「?」
 戦で敵対するよりも性質が悪い。幸村のこの無邪気さも、それにくらりと惑う己の心も。
 幸村は相変わらず不思議そうにこちらを窺っている。顔の熱はまだ引く様子はなく、元親はこの状況を打破する糸口をまだ見つけることができない。






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