忘れられない日






 幸村が妖ばかりの森で暮らすようになったのはまだ五つかそこらの頃だった。
 人の子であったはずの幸村が何故そのような場所で暮らし始めたかというと、戦乱の世に巻き込まれて親とはぐれたからである。
 散々に父と母を探し回ったのだが、子どもの体力の限界は早い。森の入り口で行き倒れ半分死にかけていたのを、狐の妖に拾われて育てられた。
 「本当は食べるつもりだったのにねぇ。幸ったら、食べるところもないくらいがりがりだったから。」と育て親である佐助という狐は相変わらず本気だか冗談だかわからない態度で幸村にそう語った。同じように育て親であるかすがという狐は後で「あいつははじめから食べる気などなかったぞ。人は嫌いなくせに、お前にははじめからぞっこんだったからな。」と言い、同じく狐である小太郎は喋れないことを補うように深く頷いていた。幸村はその話を聞くたびにくすぐったいような暖かい気持ちになる。
 本来ならば拾ったとはいえ、幸村は人の子。この妖ばかりの森で暮らすことなど許されないはずなのだが、幸村は佐助に拾われた時点で殆ど死んでいるような状態だった。そこに佐助が関わり、かすがと小太郎が関わったことで魂に変容が起こり、人でありながら人ではない、かといって妖でもないが異質なものとして生きながらえているらしい。
 そうは言われても、正直幸村自身にはよくわからない。確かに人のような食事をしなくても平気になったかな、というくらいだ。それでも人であった頃とは変わらず甘味が好きなので、時折佐助にねだったりしている。
 「それにねぇ。」
 佐助は幸村に語りながら、首を傾げた。
 「何故か、余所者嫌いのこの森の主が、幸村を住まわせてもいいって許可をくれたんだよねぇ。」
 これにはかすがも小太郎も首を傾げていた。そうして口々に、許可をくれたとはいえ森の主は強くて気難しくて怒るととても怖い狐だから、決して主のいる森の奥へ行ってはいけないと幸村に強く言い聞かせたものである。



 その主と思わしき狐が、今、幸村の目の前に立っていた。



 ごくり、と幸村は息を飲む。苦手にしている森の子鬼たちに、からかわれ追いかけられて、我を忘れて走っていたらどうやら禁忌とされている森の奥に来てしまったようだった。
 でも―――、と幸村は思う。
 怖い狐だと訊いていた。幸村は大きくて屈強で禍々しい雰囲気を持った狐を想像していたのだけれど、目の前に立つ彼はどちらかというとほっそりといったほうがぴったりする容貌だった。それに、とても綺麗である。
 顔も勿論だが、九つに分かれた尻尾も、何より漂う雰囲気がとても清廉で美しい。
 おまけに―――子鬼に追われていた幸村を助けてくれたのは、目の前に立つ狐なのだ。
 子鬼が去って互いの目が合うと幸村は身を震わせたが、それは恐怖ではなく何か高貴なものに触れたときに感じる畏怖からであった。
 しかし、いつまでも固まっているわけにはいかない。
 「・・・も、森の主殿でござるか?」
 「―――如何にも。」
 冷たい声であったが、応えてくれたことが嬉しくて幸村はちょっと頬を緩めた。主は意外だといわんばかりに眼を瞠ったが、幸村は育て親たちから躾けられたとおりに行儀よく頭を下げる。
 「ありがとうございまする。」
 そうして満面の笑みで顔を上げると、主はふいと顔を背けた。
 「・・・我は礼を言われるような覚えが無い。」
 「いいえ。子鬼たちを追っ払ってくださりましたし、幸村をこの森に住まわせてくださりました。ですから幸村は主殿に礼を言いたいのです。」
 主は逸らしていた視線を正面に戻すと、幸村の頬に手を伸ばす。少しだけ触れた指先は温かくて、何だか幸村は感動してしまった。
 「お前は―――。」
 「はい。」
 「・・・我が、怖くは無いか。」
 短い問いに、幸村は目を瞬かせる。綺麗なこの人に対峙するのは少し緊張するけれども。
 「・・・怖くはありませぬ。」
 そう応えると、主は若干目を細めた。笑っている顔に近いような気がしたのは、果たして幸村の願望か。それとも―――。
 主が小さな声で何事か短く呟くと、掌ほどの淡い光の塊がふわふわと幸村に纏わりついた。頬から離した指を、幸村が歩いてきた道へと伸ばす。
 「そろそろ帰らねば、奴等が泡を食って慌てるぞ。・・・その光に着いてゆけ。」
 奴等というのが育て親たちを指すのだと少し考えてわかった。そして踊るように飛び回る光は道案内らしい。確かに慌てて走り回ったから、ここまでくる道のりなど幸村は覚えていない。
 ―――やはり主殿は優しい御方だ。
 帰らねばならぬことはわかっていたが、どうにも離れがたくて幸村は主を見上げる。
 「あの、主殿。」
 「何だ。」
 「・・・また、会いにきてはいけませぬか?」
 「・・・・・・。」
 主は表情も変えぬまま暫く押し黙っていた。やはりおこがましい願いだっただろうかと幸村が心配になり始めた頃、深いため息を零す。
 「・・・道を覚えられたならな。」
 それが主なりの許可だと気づくと、幸村はぱっと頬を染めて喜んだ。「ありがとうございまする、主殿!」と再び元気よく礼を言うと、道案内の光に続いて歩き出す。
 その足を再び止めたのは、主の静かな声だ。
 「―――それから、我のことは元就と呼べ。幸村。」
 名を教えてもらったこと。挙句、自分の名を呼んでもらえたこと。それが自分でも信じられないほどの喜びとなり小さな身体を駆け巡る。
 振り返って一生懸命首を縦に振ると、真っ赤な顔をしたまま走り出す。道案内の光さえも追い越しそうだ。
 どきどきと苦しいくらいに胸が騒いでいる。
 どうしよう、と思った。早くまた綺麗で優しい森の主に会いに来たいと思う。会いたいけれども―――。
 「つ、次に会うとき、どうしたらいいのであろうか・・・!」
 ―――折角教えて貰った名前なのに、勿体無くてとてもまだ口にできそうにない。








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こういう設定が自分でも驚くほど好きです。すいません。本当にすいません。
実は死に掛けていた幸村さんの本当の第一発見者は元就さんだとかでも怖がられるのが怖くて眼を覚ますまで傍にいられなかったとか(繊細!)この後のあれこれとかいろいろ考えているけれども、活かせなかったしこれからも活かしきれることはない…!(涙)
でもとても楽しかったです。
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