Color title...blue
「Color title...」(リライト様)


※少々暗め







1、It's a beautiful day

 「僕は明日この世界を裏切るよ。」
 まるで明日の天気の話をするかのような気軽さで告げられた言葉に一護は僅かに目を瞠った。しかしそれも一瞬のことでそのまま目を伏せる。
 「裏切る、という表現は適さないね。元々僕はこの世界の協力者ではない。計画を実行し始めるのが明日、と言ったほうがいいのかな?」
 「そうか・・・。」
 ぼんやりと相槌を打って、一護は視線を窓の外にずらした。藍染の自室から見える外はもう暗闇と静寂に覆われいて、まるで世界に二人だけしか存在しないような錯覚を覚えさせるが、この視線の先には護廷がある筈だった。
 共に過ごした仲間たちがいる場所。
 そして、明日から悪夢のような災難に襲われる場所。
 「・・・君はどうする?一護。」
 藍染の声に急に現実に引き戻される。慌てて藍染を見た。
 穏やかな眼差しも柔和な笑顔も、どれをとっても明日この世界を覆すほどの裏切りを齎すような人には見えない。それすらも周りを欺くための手段だと一護は知っている。
 ―――そう、知っていたのだ。ずっと。
 それなのに今更選択肢を与えられることが不思議で一護は首を傾げた。
 「俺が選んでいいのか?」
 「・・・僕と違って、君はここが好きだろう?仲間たちを裏切ることができるかい?」
 「裏切る・・・。」
 藍染が言うことは最もだ。一護はこの世界に愛着を持っていたし同じ死神たちのことも大好きだった。特に護廷を支える隊長・副隊長格の死神たちとは仲が良く、彼らを傷付ける―――ましてそれを自分の手で行うなんて、考えるだけでも背筋が凍る。
 今日という日が来ることはわかっていたのに、深く関わりすぎたのは己の失態だ。
 複数の道を用意されたとしても、選ぶものは始めから決まっていたのに。
 一度だけ目を閉じて、一護はまっすぐに藍染を見た。射抜くような強さのそれに、藍染の方が僅かに身じろぎする。
 「許されるのなら、俺はアンタと一緒にいたいよ。」
 「一護・・・。」
 視線の強さと同じ位の強さで、一護はきっぱりと告げた。その目には一欠けらの迷いはない。しかしそれも一瞬のことで、次に出た声は弱々しく掠れた声になる。
 泣き出す直前のように、歪められた顔。
 「多分何にもできねぇけど・・・アンタの傍にいていいかなぁ。」
 それは切実な響きを持って藍染の耳に届いた。
 腕が伸ばされて身体に触れても一護からの抵抗はない。それどころか自分から安心しきったように身体を寄せてくる。
 「・・・いいのかい?」
 ひっそりと耳朶に落とされた確認の言葉に一護は躊躇いなく頷いた。
 「そっちこそいいのかよ。俺を傍に置いてても・・・。」
 「ああ。君がいいのなら、傍にいてくれ一護。」
 「忘れんなよその言葉。」
 うっとりと一護は藍染の腕の中で目を閉じる。幸福で眩暈がしそうだ、と思いながら。
 この世界を裏切ることに恐怖も罪悪感も感じている。仲間たちの顔を思い出すだけで心臓がつぶれそうなほど。それでも。
 (・・・ごめんな、みんな。)
 それでも、こうして抱き締めてくれる男以外の何かを選ぶ事なんて、自分にはできなかった。






2、憂鬱

 藍染は愛しそうに目を細め、少年の髪を梳いていた。時折身じろぎするたびにずれる布団を直してやる。それは一護が風邪を引くことを懸念しているというよりは、ずれた布団から見える白い肌や散らされた紅い花びらに己の欲望を再び煽られるのを避ける為という意識が強い。
 長年一護を傍に置いていたが、肌を合わせたのは今夜が初めてだった。
 怯えながらも藍染に対して一切抵抗しない姿や過ぎる快楽に溺れ縋りついてくる様子など全てに満足した。相手は口付けの仕方すらろくに知らぬ子どもだというのにこの充足感は何なのか。
 「本当に・・・君は恐ろしい子だね、一護。」
 呟いた言葉はどこか楽しげに響いた。


 初めて藍染が一護を見たのは虚の死体の山の中、自身さえも半分虚化した状態の姿だった。
 顔を覆いかけた虚の面を無理矢理引き剥がす死神。己が望んで止まなかった存在が既に実在していたと知って驚愕したものだ。
 藍染の姿を見て驚愕したのは一護も同じ。自分の中にいる虚の存在を知られれば何らかの処分をされるだろうことを察していたのだろう。藍染の姿、そして隊長の証である白い羽織を見て顔色を変えた。
 藍染はそんな一護に柔らかな笑みを浮かべ、手を差し出す。
 「おいで・・・。怪我だらけだ。手当てをしよう。」
 「・・・藍染、隊長。」
 「ああ、僕の名前を知ってくれてるんだね。嬉しいな。君の名前は?」
 警戒して毛を逆立てる子猫のような彼をじっくり懐柔するのは藍染にとって楽しい作業だった。他人から好意や憧れという感情を引き出すことに長けていた藍染の手管をもってしても、一護はなかなか手ごわい相手だったが、手ごわければ手ごわいほど楽しめる時間も長い。
 その昏い楽しみに、別の色が混じり始めたのはいつからだったのだろう。
 始めは、好奇心と打算で近づいた―――筈だった。しかしある日藍染は唐突に一護の前で当たり前の男に成り下がっていることに気がつく。自分の傍らに立つ一護が笑顔を浮かべ懐くようになったことを、これで利用しやすくなるという目論み以上に、ただ純粋に喜んだ。
 誤算だった。自分はあくまで他人の心を掌握し利用する立場になければならないのに。
 けれども一方で、悪くないとも思う。
 永遠に愛なんてものを理解することはないだろうと思っていた己の変わり具合に、そしてそれを成し遂げた一護に、藍染はただ苦笑するしかなかった。


 藍染は着物を身に付けると庭先に下り、暗闇の中、静かな声で呼びかけた。
 「ギン。」
 「何ですか?」
 闇と思っていた場所から、銀髪の青年が進み出る。それに驚くこともなく、藍染は瀞霊廷の方角を見つめたまま言葉を紡ぐ。
 「首尾は?」
 「四十六室は全滅。清浄塔居林にはいつでも移動できますわ。今夜行きます?」
 「そうだね・・・。『鏡花水月』を仕掛けたら、一護を連れてそこに行くとしようか。」
 藍染の口から出た一護の名前に、市丸の目が僅かに光った。
 「へぇ・・・一護ちゃん、承諾したんや。どうやって・・・って、聞くだけ野暮でしたな。」
 少し着崩れた藍染のようすに全てを察したのだろう。一護が藍染を慕っていたのは市丸にもわかっていたことだ。少し苦々しい思いで藍染を見る。
 藍染は市丸のそんな態度を咎めることもなく、ただ笑った。
 「念のために言っておくが・・・合意の上だよ?」
 「わかってますわ、そんなん。ま、僕は一護ちゃんが一緒に来てくれるんなら楽しいからいいですけど。それに藍染隊長が飽きたら貰う予定ですし。」
 「好きにするといい。どうせそんな日は一生訪れないさ。」
 自信満々に宣言する藍染に舌打ちしたい衝動に駆られたがそれは何とか耐えた。こんなことで不興を買うような真似はわざわざしない。失敗するつもりはないが大事の前だ。
 それよりもやるべきことはまだ目の前に山ほど用意されている。
 「・・・それにしても、一護ちゃんが一緒に来てくれるんならほんまに楽になりますなぁ。」
 一護は、隊長・副隊長たちから特に可愛がられている存在だ。その中には藍染や市丸と同じような類の感情を向けているものも少なくない。その彼が抜けるとなると精神的な打撃はさぞかし大きなものだろう。
 「全くだ。」
 その瞬間のことを考えると楽しくて仕方がないとばかりに藍染が笑う。けれども、不意にその表情を翳らせた。
 「?」
 「・・・いや、何でもない。これからのことも予定通りに行う。失敗しないでくれよ。」
 「わかってますわ。」
 市丸は踵を返そうとしたが、思いなおして藍染を見た。いつもと変わらぬ穏やかな笑みをたたえている姿に、おどけたように聞く。
 「藍染隊長・・・一護ちゃんのことが心配なん?」
 市丸の言葉に藍染は肩を竦めた。
 「あの子は優しいからね。きっと傷付くだろう。」
 「そうやなぁ。優しすぎますわ。」
 一歩地面を踏みしめると砂利の音が響く。市丸は身体の半分ほどを闇の中に隠したまま視線を移した。
 藍染の屋敷の中で、恐らくまだ彼は眠っているのだろう。
 「でも不思議ですわ・・・。自分がやってることは全然悪いことやと思わへんのに、一護ちゃんが泣くこと考えると、申し訳ない気分になる。」
 「・・・・・。」
 また一歩。今度は完全に市丸の姿は闇の中へと溶け込む。
 「・・・ほな、一護ちゃんによろしく言うといてください。」
 その言葉を残して、市丸の気配は完全に消えた。藍染は暫く闇を見つめていたが、やがてそっと目を伏せた。
 瞼の裏に浮かぶのはいつだって、自分には眩しいほどの鮮やかな橙色の光。
 きっと彼は悲しむだろう。共に過ごしてきた仲間を裏切ることに。
 そして周りも悲しむだろう。信じてきた光がこの世界からいなくなってしまうことに。
 どのみち藍染は一護を手放す気などない。彼が傍に居なかったら、生きていくことなどできやしないのだから。
 「君が僕を選んでくれてよかったよ、一護・・・。」
 そうでなければ、自分でも何をするかわからない。
 呟いた言葉は、静かな闇の中に消えていった。






3、蒼の灼熱

 藍染は夜一と砕蜂の二人に、市丸は松本に、東仙は檜佐木に身動きを封じられた。そして他の隊長・副隊長たちがそれを囲むようにして立っている。刀の柄に手をかけ、藍染たちが妙な動きをしたらいつでも斬りかかれる状態だ。
 「これで終わりじゃ、藍染。」
 夜一の台詞に藍染は薄く笑う。確かに、絶体絶命だった。
 すい、と一人の男が藍染の前に進み出る。枯れ草色の髪に隊長を示す白い羽織の背中には十二の文字。
 十二番隊長であり、技術開発局局長の浦原喜助だ。
 「貴方たちの処分をする前に・・・聞きたいことがあるんですけど。」
 「何かな?」
 藍染の態度は今このときでさえも落ち着き払ったものである。それに周りが苛立つ様子が手に取るようにわかった。最後の最後で計画が破綻し、殺されようとしているはずなのに、その余裕が不気味だということもあるのだろう。
 浦原は手を一振りするとそんな周りの様子を諌めた。藍染の様子も気になるが、今はそれ以上に大事なことがある。
 そう―――。
 「貴方・・・一護さんをどこにやったんです?」
 落ち着いた声の中に、じわりと広がる殺気。見かけとは違い、この男も相当苛立っているようだ。確かにかつての教え子が、藍染の偽者の死体が現れると同時に行方不明になれば不安にもなる。
 巻き込まれたか、あるいは一部で一護が犯人なのではという噂も立った。浦原はそれら全てを否定して、一護の無事を信じていた。
 まさか藍染が生きていてこの騒動の本当の犯人だとは思いもしなかったが、それならなおさら一護が生きている可能性は高い。
 「余程なりふり構わず手に入れたかったと見える・・・。あの子を攫うとはね。」
 「攫う?何のことか僕にはよくわからないな。」
 「ふざけるなよ藍染。今すぐ首を切り落とされたくなかったら一護を返せ!」
 言葉と共に砕蜂の突きつけていた刃が藍染の首に押し付けられる。薄皮が避け紅い血が滲んだ。
 痛みはないが身動きが取れないこの状況は不便だ。藍染は僅かに眉根を寄せた。
 「やれやれ、誤解だというのに。・・・まぁいいか。そんなに言うのなら、会わせてあげよう。」
 優しい微笑と共に、藍染は甘い声で彼の名を呼ぶ。
 「おいで・・・一護。」
 途端、ぶわりと広がる霊圧。懐かしい、けれども本能的な危険を感じて夜一と砕蜂は咄嗟に藍染の傍から飛び退る。次の瞬間、鋭い斬撃が藍染の周りの地を抉った。
 「「!!」」
 あと一瞬でも遅ければ二人とも致命傷を負っていたに違いない。あまりの鋭さに、藍染の四方は底の見えないほど深い溝ができていた。
 もうもうと土煙があがる中、そこに立っていたのは―――。
 「・・・い、ちご、さん・・・?」
 確かに、ずっと無事を祈り、探していた彼の姿だった。やや変形的な死覇装を纏い、いつもの大刀ではなく細身の刀を携えていたが、間違えようのない鮮やかな霊圧とその姿。凛と立つ身体には傷一つない。
 無事だったことを、喜ぶべきなのに。
 死神たちは呆然と一護を見た。
 ―――藍染を背に庇うようにして、自分たちに刀を向けている彼の姿を。
 恐ろしいくらいの静寂の中、場違いな程おどけた声が響く。
 「ひゃあ!一護ちゃん。もしかしてそれ卍解なんとちゃう?何時の間にそんなん身につけたん?」
 市丸だ。一護はちらりとそちらのほうに目を向けたがすぐに前に戻した。
 「つい先日。必要かと思って。」
 「こんな短期間で?ほんま恐ろしい子やねぇ。」
 「何だそりゃ。」
 親しげな会話から導き出せる結論は唯一つ。しかし誰もが信じられなくて、信じたくなくて動くことが出来ない。
 一番始めに我を取り戻したのは浦原だった。低い、唸るような声で一護に問いかける。
 「一護さん・・・貴方、自分が何をしているのかわかってるんですか?」
 何かの間違いであってくれ、と。祈るような思いで吐き出した。けれども一護は悲しげに顔を歪めて、死神たちを見渡すだけで。
 「ごめんな、皆。」
 その口から語られる謝罪の言葉なんて、聞きたくないのに。
 「でも・・・この人を傷つけようとすることは、許さねぇ。」
 一護が藍染に与しているのだという、決定的な一言だった。全員が言葉という見えない刃に貫かれたかのように身を揺らせ、ルキアなどは耐え切れずに涙を流しながらその場に崩れ落ちる。
 誰が予想しただろうか。こんな結末など―――。
 「・・・よしなさい、一護。」
 今まで沈黙を守っていた藍染が初めて動いた。己の右手で一護の右手を包み、そのままやんわりと力を入れて構えていた刀をおろさせる。
 一護は抵抗こそしなかったものの、疑問を顔に表して藍染を見上げた。
 「君がそんなことをする必要はない。卍解も慣れていないなら身体に負担がかかるだけだ。」
 「でも・・・。」
 「僕なら大丈夫。・・・それに、時間だ。」
 ドンッ、という轟音と共に一護と藍染、それからギン、東仙の身体が天から差し込む光に包まれた。示し合わせたかのように一斉に空を見上げると、天が裂け巨大な手が現れているのが見える。
 「大虚・・・!!」
 誰かが、叫んだ。ありったけの驚きと絶望を込めて。
 大虚が何体も次々に穴から顔を出す。そんな大勢の大虚が尸魂界の一箇所に発生しているということだけでも死神たちに衝撃を与えるには十分だったが、その後ろには見たこともないもっと巨大な何かが控えていた。
 藍染を筆頭に隊長格三人の裏切り、一護の離反。そして何体もの大虚に得体の知れないもっと巨大な"何か"の出現。今まで考えたこともなかった光景に誰もが息を呑み身動きすらできない。
 そんな中、光に包まれた一護は突然浮遊感を感じて、慌てて藍染の羽織を掴んだ。藍染はそれを見て僅かに笑い、一護の肩を抱き寄せる。
 この光が『反膜』であることもあの大虚が恐らく藍染を迎えに来ただろうことは理解したが、まさか自分がこの光の内側に入ることになるとは思わなかった。次第にあの空の裂け目へと身体が浮上していくのを感じながら、一護は絶望の表情を浮かべているかつての仲間たちを見下ろした。
 「一護!」
 「黒崎さん!!」
 口々に己の名を呼んでいるのが聞こえたが、どの声にも答えられない。一護は藍染の羽織を握る力を強くして、じっとその様子を見続けていた。
 まるで網膜に焼き付けようとするかのように。
 愛しかった。人も、建物も、空も、景色も、この世界を構築する霊子全て。
 それでも、何度この瞬間が訪れようとも、自分は藍染についていくという選択肢以外の道を採ることはないだろう。
 きっと尸魂界の光景を見るのはこれが最後になるに違いない。一護は愛しげに世界を見渡して、そして呟いた。

 「さよなら。」

 愛して止まなかった世界への別れの言葉を。






4、つめたい月の色

 虚圏には朝や夜という一日の感覚はない。それと同時に、四季の感覚や天気という概念も存在しない。
 広がるのはただの闇だけ。果てすらもわからない、ただ一面の闇。
 だから無性に太陽や月や、花の一つでもいいから目にしたくて、一護は時々人間界に散歩に来ることがあった。その場合藍染も一緒に来るのだが、今日は生憎崩玉の研究が新たな領域へと入ったらしく、忙しい彼をおいて一護は一人きりだ。
 あの事件の日から随分経ち、季節はもう冬になる。些か薄着をしすぎた、と一護は自分の身体を抱き締めた。
 誰の家とも知れない屋根の上で、闇夜に浮かぶ満月を眺める。やはり月があるからか、虚圏の闇と違い人間界の闇は明るい。久々に見る月の明るさとその美しさに、一護は時間も忘れてただひたすら魅入る。
 だから気付けなかった。背後に忍び寄る存在に。
 「ッ!」
 ちり、と焦げ付くように熱い視線を感じて、一護は背後を振り返った。思った以上に近く、予想もしなかった顔を見つけて目を瞠る。
 「・・・浦原。」
 月の色と同じ金色の髪を、そして白い隊長の羽織を目にして、一護は自分が自然に笑みを浮かべたことに内心驚いていた。かつての師に会えば動揺するかと思っていたのに、素直にただ懐かしいと思える。
 一護の穏やかな様子に驚いたのは浦原も同じだっただろう。けれども彼は冷たい表情を崩さなかった。
 「久し振りだな。」
 「・・・ええ、お久し振りッスね。まさか敵である貴方がこんなところに一人で月見をしているとは思いもしませんでしたよ。」
 敵、という言葉がもつ冷たい響きに一護は僅かに眉を顰める。しかしそういわれることはわかっていたことで、覚悟もしていた。できれば今この場で戦いたくはないが、場合によっては剣を交えなくてはならないことも。
 浦原が紅姫に手を掛けるのを見て、やはりという思いが胸を掠る。
 一人で散歩などするべきではない。藍染と市丸に『一護(ちゃん)は一人でいさせるとすぐ事件に巻き込まれる。』といわれたことを思い出してこっそり笑った。
 「・・・早速かよ、浦原。」
 「貴方も剣を抜きなさい、一護さん。貴方が藍染に与し続けるという覚悟があるのなら。」
 すらりと抜かれて現れる浦原の斬魄刀。久し振りに見るそれは相変わらず名前に相応しい美しさだった。
 正直、本気の浦原と戦って一護に勝算があるとは思えない。素質は十分と、他の誰でもない浦原本人に保証されていたが、浦原と比べれば一護は圧倒的に戦闘的な経験が不足している。
 どうするか。
 「その覚悟ごとアタシが破壊します。・・・そして、貴方を尸魂界に連れ戻す。」
 「!!」
 信じられない言葉に、一護は目を見開いて浦原を見た。何かの冗談かと思ったが、生憎浦原の顔はどこまでも本気だ。
 「何、言って・・・。俺を連れ戻したって意味がねーだろ!」
 「意味ならあります。少なくともこちら側・・・否、アタシには。いい加減目を覚まして下さい一護さん。貴方は藍染に利用されてるだけではないのですか?」
 『利用』。
 浦原は一護の動揺を誘うために口にした言葉かもしれないが、逆に一護は冷静を取り戻した。そうして悲しげな色を目に浮かべて、己を取り戻すと言ってくれた男を見る。
 どこまでも、信じてくれているのだ。
 それが逆に申し訳なかった。鈍い痛みが胸を刺す。
 「・・・ありがとうな、浦原。でも、連れ戻すなんてそんな馬鹿な考えは捨てろ。ここで俺とアンタが剣を交えるのなら、それはただの殺し合いにしかならない。」
 「何を・・・。」
 「俺の帰る場所はあそこじゃない。ずっと俺は尸魂界にいるのが、死神でいるのが心の底でつらかった。」
 ふ、と一護が笑みを浮かべる。それは彼に似つかわしくない、歪んだ笑みだった。
 「俺は・・・半分、虚なんだよ。浦原。」
 伝えられた事実に、浦原が驚愕に目を瞠るのが見えた。呆然と、一護の姿を見て、「まさか・・・。」という呟きを溢す。次第にその顔に怒りが浮かんだ。
 「まさか・・・藍染は、あいつは貴方に崩玉を使ったんですか!?あんな不完全な代物を貴方に・・・!」
 「違う。そうじゃない。」
 「それなら何故・・・!!」
 「何故、だろうな。難しいことはわかんねぇ。俺は元々"こう"だったんだよ。」
 「馬鹿な・・・。」
 呻くような声だった。長年隠してきた事実に、騙していたということに一護は申し訳なくて目を伏せる。
 その一方でようやく言えたということに晴れ晴れとした爽快感も感じてはいた。尸魂界に留まり続ければ一護は何時までも負い目を感じながら生きていかなくてはならなかっただろう。
 「・・・俺の存在そのものが、尸魂界を裏切ってるようなもんだ。だから藍染さんが作る世界が本当に俺がいる場所で、ある意味俺が藍染さんを利用していると言ってもいいだろうな。逆にアンタの言う通り、藍染さんが俺を利用してるって言うんならそれでいい。」
 「一護さん・・・。」
 「どうだっていいんだ、そんなこと。ただ俺は、・・・俺が藍染さんの傍にいたいだけだ・・・!」
 叫ぶように告げられた、紛れもない一護の本心。全てを捨てたのも、自分たちを裏切ったのも全て藍染の傍にいたいためだと断言され、浦原は狼狽した。こんな風に、激情を露にする一護を見るのも久し振りだった。
 そんなにも、藍染のことを。
 ギリ、と奥歯を噛みしめる。どろどろとした昏い感情が胸の中を余すことなく塗りつぶしていき、どうにかなりそうだった。
 浦原は紅姫を構えなおす。
 「・・・それでも、アタシは貴方を連れ戻したい。」
 例え一護自身がそれを望まないとしても。浦原は今その思いだけで動いているのだ。
 憎まれても、疎まれてもいい。それだけの"覚悟”はとうにできている。
 「抵抗するのなら、力ずくでも連れて帰ります。」

 「それは困るな。」

 一護以外の声が聞こえて、浦原は無意識にその場から飛び退った。穏やかな声だ。それなのに詰めたい刃を喉元に突きつけられたような錯覚を覚えた。距離をおいて着地すると、一護を抱き寄せる藍染の姿が目に入る。
 浦原が、憎んで嫉んで、殺したくて仕方がない男。
 「藍染・・・!」
 名を呼ばれ、藍染は浦原を一瞥したが、興味がないといわんばかりに腕の中の少年に視線を戻した。
 「すまない、一護。無理にでも一緒に来ればよかった。一人でつらい思いをさせてしまったね。」
 「藍染さん・・・。」
 「ああ、そんな顔をしないでくれ。もう大丈夫だから。」
 そっと頭を撫でれば、一護は安心したように藍染の肩に頬を摺り寄せた。抱き寄せる力を強くして、藍染はようやく浦原と向き合う。
 憎悪と殺意がこもった視線に、藍染はたじろぐこともなく、ただ笑みを浮かべる。
 一護に向けていたものとは性質の違う、冷たい笑み。
 「随分勝手なことを言ってくれたね、浦原。よりにもよって、僕が一護を利用してるだって?」
 「アタシは思ったことを言ったまで。事実、貴方はそのつもりなのでは?」
 「僕も一護と同じ、ただ共にいたいだけさ。・・・まぁ君がどう思おうがどうでもいいけどね。」
 「貴様・・・!」
 浦原が今にも斬りかかってこようとしているのを見て、藍染は一護を抱き寄せたまま空中に浮かび上がる。
 一護に刀を向け好き勝手に言ってくれた礼はしたいのだが、生憎今浦原の相手をしてやる時間はない。
 「そう慌てるな、浦原。もう暫くしたら、きちんと殺しあえる場を提供してあげるよ。決着はそこでつけよう。」
 ぎりぎりと、歯を噛みしめる音が聞こえてきそうだ。浦原はまだ何事か告げたそうにしていたがそれに貸す耳はない。藍染は踵を返してその場を去る。一護はずっと藍染に身を任せていた。
 一人残された浦原は、二人が去った後、追いかけることも尸魂界に戻ることもできずただその場に佇む。
 「・・・一護さん。」
 力なく、呟く男の姿を、ただ冷たい月だけが照らしていた。






5、一夜の幻

 虚圏に存在する己の拠点に帰った藍染は、腕の中で眠る一護に視線を移した。
 ずっと抱き寄せている間に安心して眠ってしまったらしい。自分の腕の中をそこまで信用してくれているとは、何とも嬉しいことだ。
 『・・・俺が藍染さんの傍にいたいだけだ・・・!』
 いささか一護にはつらい思いをさせたが、熱烈な告白も聞けたことだし、浦原には感謝せねばならないだろう。同時にあの男にもわかったはずだ。一護も藍染も、お互いを手放す気はないということを。
 抜け出した崩玉の研究へと戻らなければいけないことはわかっている。しかし腕の中のぬくもりを離してしまうのも惜しい。藍染はことさらゆっくりと自室に移動し、一護の身体をベッドの上に横たえた。
 「・・・一護?」
 身体を離して、初めて気付いた。一護の眦に浮かんでいる涙の存在に。
 静かに顔を寄せて、舌で一粒だけ溢れた水滴を拭う。飲み込んでしまえばそれはなかったものになる。しょっぱい、のに、どこか甘い。そう感じてしまうのは、それだけ自分がこの少年に参っているということか。
 一護は身じろぐこともなく、穏やかな寝息を立てている。
 浦原と再会したことは、やはり一護の心のどこかに影響を与えたのだろう。藍染が一護の涙を見たのは、これが初めてのことだった。
 傷つけることはわかっていた。けれども藍染にはこの道しか選べなかった。謝罪の言葉など言えない。言っても仕方がない。
 だからせめて。
 「大丈夫・・・一護。すぐに、終わらせるから。」
 何もかも、終わらせて。それから長い年月が経てば、傷がなくなることはなくても薄らぐことはできる。遠い昔のことだと、まるで幻のようであったと思うこともできよう。
 後悔はしていない。自分の道を疑ったこともない。
 「君を、これ以上傷つけるものがないように。」
 守ってみせると誓いを込めて、藍染はもう一度一護の眦に唇を寄せた。






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