掌中の珠 後編 |
※幼児化注意 鼻歌交じりに機嫌よく護廷の廊下を進む一護の姿に、死神たちはギョッとして立ち止まるものの、呼び止めて訪ねるような者はいない。なぜこんな子どもが、とは思うものの護廷という場所は外部からの侵入者には厳しく、許可を得ていないものが入れるはずがないのだ。よって恐らくこの子どもは許可を得ているのだろう、と己の言い聞かせつつ、好奇の目を向けずに入られない。 ざわざわと騒がしかったが、一護は”余所見をするな”という兄の言いつけをしっかり守って、ひたすら長い廊下を一心に歩いていた。 屋敷から六番隊隊首室までは、毎朝白哉に抱えられて瞬歩であっという間に移動しているから、こうやって護廷の中を見るのは初めてのことだ。できることなら一室一室中を確かめてみたいという冒険心はあったが、それはこの仕事が終わってからまた兄に頼もう、と己を宥める。一人で回るよりも兄と一緒に行ったほうがきっと楽しいはずだ。そう考えると楽しみが増える。 そんな事を考えながら一心不乱に前に進んでいたため、周囲の変化―――いつの間にか人の声や姿がなくなっていることに気付けなかった。 突然左右からにゅう、と手が伸びてきて驚く。 目の前に現れた掌は大人のそれだ。細いけれど少々筋張った男のもの。 思わず後退ると背中に温かい何かがぶつかり、疑問に思う前に目の前にあった腕に抱きとめられた。 「つーかまーえた。」 独特のイントネーションで楽しげに呟かれた言葉に一護は軽くパニックを起こす。とにかく相手の顔を見ようと一生懸命首を捻ると相手もそれを察したのかぎゅうぎゅうに回していた腕を少しだけ緩めてくれた。 果たして後ろにいたのは。 「・・・キツネさん?」 細い目に大きな口は、どこをどう見たって先程まで一護が読んでいた絵本に登場するキツネそっくりだった。髭も耳もなかったけれど。 大真面目な顔でそう呟いた一護に、こちらも大真面目な顔で返す。 「ううん、僕はキツネやなくて、ギン。市丸ギン、や。」 「ふうん・・・。俺は一護。」 「一護ちゃんか〜。」 ニコニコと笑う顔はやっぱりキツネに見えたが賢明にも一護は黙っていた。 ふと、腕の中で音を立てた紙の存在に己の役目を思い出し、僅かに身を捩る。 「えと、ギン。離して?」 「何でぇ?もうちょっとお話しようや。」 「俺十三番隊に行かなくちゃいけないから。」 「十三番隊?何か用でもあるん?」 「これ届けに行く。」 もぞもぞと腕を動かせば市丸はまた少しだけ身体を離して一護の手にある書類を見た。二人の間に挟まれて少し皺がよっている。 ざっと目を通しただけだが、確かに十三番隊宛の書類だとわかり市丸は首を捻った。 市丸の記憶では確かにこんな子どもの死神は十一番隊の他にいなかったはずだ。それに一護は死覇装も着ていない。霊圧は備えているようだが間違いなく一般人の子どもだろう。 そんな子どもが何故十三番隊への書類を持ち歩いているのか。 やけに周りが騒がしいからとサボりも兼ねて飛び出してきたらなかなかに面白そうなことに出くわした。それに一護は可愛いし。大きな目で必死にこちらを見上げている一護ににっこりと笑みを返す。 「せやったら、僕が一護ちゃんのこと十三番隊に届けたろ。」 そこに行けば何かわかるかもしれない。どうせこのまま一護と別れるのは惜しいと思っていたので市丸は小さな身体を抱き上げた。 そのとき。 「・・・な〜にやってるんスか貴方は。」 眠そうな顔でふらふらと現れたのは枯れ草色の髪の毛に十二の文字を染め抜いた羽織を纏った男。市丸はあからさまに顔を顰める。 「あちゃぁ、浦原隊長。どしたんですの?」 「どしたも何も・・・廊下が騒がしいから来てみれば誘拐現場を目撃してしまったので止めようとしてるんじゃないですか。」 「誘拐て。酷いわ〜。」 「どっからどう見ても誘拐でしょ。」 気配もなく突然現れた見知らぬ男の姿に一護は目を瞬かせている。市丸の登場にも驚いていたのに、更にもう一人現れて一護の頭はもう飽和状態だ。護廷に来てからは兄と恋次と、それからたまにお茶に呼んでくれる山本としか話したことはないのに。 「吉良君が今頃慌ててますよ。とっとと三番隊にお戻りなさい。勿論その子は置いて。」 「その内三番隊には帰るつもりですけどその前に一護ちゃんを十三番隊に送ってならな。なぁ一護ちゃん?」 そう問われても。一護は市丸の「届けたろ」という申し出を受けてはいない。・・・拒否できる暇もなかったが。 市丸の腕の中で一護はふるふると首を振った。 「ええと、俺大丈夫。ギン仕事があるんでしょ?」 わざわざ人に迷惑をかける必要はない。これは一護が白哉から任された仕事だ。出来る限り一人でやり遂げたい。 しかし市丸は不満そうに頬を膨らませた。 「ええ〜。でも僕一護ちゃんと一緒にいたい。」 「いい大人が何やってるんですか・・・気色悪い。」 「それにここに一人で置いてかれたら浦原隊長に実験体にされるで?このオッサンほんま怖いし容赦ないから。」 「ほぉ・・・市丸さん。いい度胸してますねぇ。確かに先程新しい薬発明したんで、仕事に戻る気がないんでしたらどうです?試し飲みなんて。」 「絶対お断りやわ。それに僕は一護ちゃんと一緒に行くて言うてますやろ。」 一護を放っておいて、二人の言い争いは加熱していく。早く十三番隊に書類を届けねばと焦る一護は気が気じゃない。しかし、身体は市丸の腕に拘束されてしまっている。 それによくよく思い出してみれば恋次は「変な奴についていくな」と言っていたし兄も「余所見はするな」と言っていた。二人が変な奴かどうかは置いておくとして、たとえ目的地は十三番隊のままだとしても連れて行かれそうにはなっているし余所見にも相当するのではないだろうか。 ―――このままでは兄の言いつけに従わなかっただけではなく、役にも立てないことになってしまう。 頭に浮かんだ結論は思いのほか一護の心を傷つけた。 じわあ、と大きな目に涙が浮かぶ。それはみるみるうちに量を増やし、ついに一護の目から一粒雫が落ちた。 驚いたのは側にいた男二人だ。市丸と浦原が言い争いをしていたはずなのに、何故か一護が泣いている。 「え、ちょっ・・・!?ああもう!貴方のせいですよ!」 「何でやの!?浦原隊長のせいやろ!ど、どうしたん一護ちゃん?このオッサンが怖いんか?それとも腹でも痛くなったん?」 慌てふためく二人の言葉に返事を返さねばと思うのだが、悲しくてつらくて、えくえくと涙を流すことしかできない。 手で顔を覆ってしまった一護の耳に、市丸と浦原以外の、とても聞きなれた人の声が入ってきた。 「一護ッ!!」 濡れた頬のまま、反射的に顔を上げる。探すまでもなく、浦原の向こうにその声の主はいた。 「・・・ッルキア姉様!!」 「はい?」 「・・・ねえさま?」 呆気に取られた市丸の腕が緩んだ隙に、一護はそこから抜け出して兄の次に大好きな姉のもとへと走る。思いっきり抱きつけばルキアは細い身体で難なく受け止めてくれた。 ぎゅう、と姉のお腹に顔を埋める。 「地獄蝶でお前がこちらに向かっていると聞いたのだがなかなか来ないから心配していたのだ。大丈夫か?一護?」 「姉様・・・!」 「案ずるな。悪い奴らはきっちりと兄様が成敗してくれるからな。」 にっこりとルキアは愛しい弟に笑いかけた。 そう、ルキアが一護の姉ということはつまり”彼”もまた一護の兄であるのだ。 突然目の前で繰り広げられた姉弟の感動の再会劇を見ながらようやくそのことに思い至ると同時、今一番会いたくなかった人の霊圧を背後に感じて市丸と浦原の二人は固まる。 ブリキ人形のようにぎちぎちとぎこちなく振り返ると、相変わらず無表情の、それでいて圧倒的な凄みを感じさせる霊圧を背負った白哉がいた。 「白哉兄様!」 「兄様。手加減は無用です。」 一護の可愛らしい声と、ルキアの無慈悲な声が響く。 二人の言葉に応えるように、白哉は愛刀を抜いた。 「え〜・・・と、六番隊隊長さん?」 「護廷内で抜刀は禁止の筈なんですけど〜・・・?」 できるかぎり刺激せぬように、浦原と市丸は静かに声をかけたのだが。 「・・・私の弟を泣かせた罪、死を持って償え。」 「「!!?」」 勿論、怒りに狂った白哉が聞き入れるはずもなく。 一護が白哉をそれこそ泣きながら止めるまで、二人分の悲鳴が途切れることはなかったという。 * * * それ以来一護の存在は護廷中に広まることになり、市丸と浦原の二人からは後日お詫びの品としておもちゃやらお菓子やらが六番隊まで届けられた。 一護はそれらに見向きもせず、仕事の終わった白哉の前に座り、しょんぼりと項垂れている。 「ごめん兄様・・・ちゃんと届けられなくて。」 言いつけも守れず、書類だってルキアが取りに来てくれたようなものだ。折角白哉が仕事を任してくれたのに。 少しでも、役に立ちたかった。 その結果は―――到底芳しいものではない。 落ち込み続ける一護の頭を、白哉は自分にできる精一杯の優しさで撫でた。 「お前が謝ることはない。」 「でも・・・。」 「うまく届けられなかったのは市丸と浦原の邪魔が入ったせいだ。それがなければお前はきっと役目を果たしてくれただろう。」 そんなことはない。一護が書類を届けられなかったのは一護の責任だ。そう考えて頭を小さく横に振る。 「一護。」 そっと、白哉が一護の身体を抱き上げた。白哉の腕はいつだって一護を柔らかく包んでくれる。 それが嬉しくて一護も白哉にしがみついた。 「お前が私の役に立とうとしてくれる、その心が嬉しい。お前が失敗したと判断したのなら私はもう何も言わぬが、その代わり次で挽回してくれ。」 「うん・・・うん。俺、頑張るね!」 「ああ、楽しみにしている。」 ようやくいつもの笑みを見せてくれた弟の額に白哉は穏やかに笑って口付けを落とした。 |
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