案内された風呂は予想に違わず、えらく広い立派なものだった。
 脱衣所で手早く濡れた着物を脱ぎ捨てると、一護はさっさと浴場へ向かった。こんな豪華な風呂は落ち着かないし、家の主人が帰ってくれば風呂を明け渡さなくてはならないから、出来るだけ早く上がったほうがいいだろう。
 檜湯、というのか。この家の風呂は自分が知っている風呂よりもいい香りがする。
 そんなことをつらつら考えて、一護はある程度洗った身体を風呂に沈めた。
 例えこの家が気に食わない人間のものだろうと、この風呂に入れられた経緯がどんなに己の意志に沿わなかったものであろうと、冷え切った身体に温かい湯は有難かった。知らず詰めていた息をそっと吐き出す。
 足を伸ばしてもまだ十分に余裕がある湯船に肩まで身を沈めてから、一護はゆっくりと自分の手に視線を落とした。
 先ほどまで土を掘る道具として使っていたそれは、見るも無残な状態になっている。
 泥と血は落としたものの、砂が食い込み殆どの爪も半ばはげかけているから、熱いお湯が染みて相当痛い。じわじわと強くなる痛みに顔を顰めながら、一護はその手で作った墓のことを考えていた。
 浴場に設置された窓からまだ雨の音は聞こえてくる。きっと勢いはとどまることを知らず、いまだ地面に水を注いでいるのだろう。


 一護は雨が嫌いだった。
 昔から、雨はいつも大切なものを奪っていくから。


 初めは母親。一護が一番大好きな人だった。そして家族も母親が大好きで、一護の家庭は母親中心に回っていた。一つのものを護る人になりますように、という願いを込められて付けられた自分の名前を呼ばれるたびに、子どもの頃の自分は母親を護るのだと考えていた。
 それなのに、死んだ。他ならぬ自分の所為で。
 雨の中道路脇をふらふらと歩いていた女の子を助けようとした一護を庇って、母親は血に濡れて倒れていた。どこをどうしたのか、恐らく車に轢かれたのだろうと思っていたのだが、成長するにつれてそれにしては母親の傷が変―――そう、まるで鋭利なものに切られたような傷だったのが気になったが、母親が死んだという事実の前でそんな些細なものは問題ではなかった。
 何度も何度も自分を責めて、二度と大切なものを失くさないようにと己に誓った。

 そう誓った数年後、今度は父親と妹二人がいなくなった。
 交通事故だった。大型のトラックが家につっこんできて、家にいた三人はひとたまりもなかった。そのとき一護はたまたま友達の家にいて、一人だけ助かった。
 その日も大雨が降っていた。ようやく家に辿りついた一護は、雨に濡れながら呆然と半壊した家と、運び出される家族の遺体を見つめていたのだから。

 自分が死んだ日も、多分雨だったはずだ。風邪をこじらせて肺炎になり、既に生きる気力を失っていた一護は回復する間もなくあっけなく死んだ。朦朧とする頭の隅で雨の音を聞くのは最後だと清々した記憶がある。
 悲しみは、一護が死んだ時に終わるはずだった。少なくとも一護はそう思っていた。なのに死んだ後も一護が生きる世界はそこにあって。
 今日作った墓は、二人の妹のものだった。勿論現世の頃の妹とは違う。流魂街に来てから出会った二人で、血の繋がりは一切ない。
 二度と誰かを失いたくない思いはあった。けれども幼い少女二人を見ていたら、現世の頃の妹たちを思い出して、放っておけなかった。
 次第に、一護は本当に二人のことを妹と思い始め、可愛がっていたのだ。
 しかし、一護が少し出かけていた間に二人は殺されていた。流魂街は番地が後半になる程、危険度が高くなる。一護たちが住んでいたのは中間よりも後半の側で、気を付けていれば幼い子どもでも守れる場所だった。
 それを、自分が気を抜いたばっかりに―――。
 (ごめん、な。)
 物取り目的だったらしく、家は荒らされていた。二人の冷たくなった身体と、真っ赤に染まった床がすぐに目に浮かぶ。あまりのことに呆然として涙も出なかった。
 気がついたら穴を掘っていた。黙々と雨に打たれながら土を抉り、満足のゆくまで作業を続けて二人の遺体を埋めた。何も考えることができず、ただ自分の大事なものを奪っていく雨をひたすら睨んでいた。
 そこに現れたのが、あの男。
 (ウラハラキスケ・・・。)
 変な奴だと思う。その男に連れてこられて、一人温かいお湯に浸かっている自分は何なんだろう、とも。
 凶事は、二度と起こさせないつもりだった。絶対に守ると誓って二人の妹の手を取った。
 それなのに、この様だ。
 どんなに後悔しても、二度と二人の笑顔が自分に向けられることは無い。声すらも聞けない。
 温かいお湯に強張っていた身体だけではなく、心さえも解かされる気がした。今になってようやく、喪った悲しみが胸に染みこんで来る。


誰もいないことを言い訳にして、一護は少しだけ涙を溢した。












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