拍手ログ




 「―――退け。」
 周囲を睥睨して、一喝。返ってくる反応は怒りだったり懇願だったりいろいろな形ではあったが決まって「否」しかない。
 「い、一護様。それは…なりません。」
 今回の相手は気弱そうな女中たちだった。一護の言葉に怯えたように身を震わせ駄目だと一様に首を振る。もう一度繰り返してもよかったが泣き出しそうな気配に結局は一護が折れて、身振りで退出をするように命じた。
 豪奢な部屋に一人残される。それでも安寧が訪れるわけでもなくあるのはただ苛立ちばかり。
 もはや、溜息しか出てこない。
 この母親が生まれ育ったという屋敷、つまりは一護にとって実家にあたる“橙院家”へ来たのは2週間ほど前のことだった。
 一護は早くに二親をなくしている。母親は病気で、後を追うようにして父親が他人を庇って死んだ。
 それからはずっと一人で生きてきた。流魂街の中でも比較的危険な地域に住んでいたおかげで身を守るすべは一通り身につけている。仲の良い両親を亡くしてしまったことは悲しかったが、こうして生きていける手段を教えていてくれたことはありがたかった。
 だから”迎え”だという男たちがやってきた日も一護は彼らに従うつもりは全くなかった。
 それでも結局押し切られるような形でこの屋敷へやってきたのは、母親が生まれた場所というものに純粋な興味があったから。そして、もう一度“家族”を手に入れられるかもしれないという淡い期待があったからだ。
 だがそれは、失敗だった。この屋敷には一護の血族は一人も残っていない。いるのはただ、一護を閉じ込め、監視することしか考えていない家人たちばかりだ。
 立派な屋敷の門構えを見た時から覚悟はしていたが、母親はどうやらそれなりに高位な立場の貴族の出身だったらしい。それをどこの馬の骨ともわからぬ男―――一護の父親と駆け落ちし、失踪したというのだ。
 それならいなくなった娘の産んだ子供のことなど放っておいてくれれば良いものを、更にこの家には厄介なしきたり、否、もういっそ呪いというほうが正しいのかもしれない意識が蔓延っている。
 それは遠い昔の話。橙院家の一族はかつてない窮地に立たされていた。ある者は原因不明の病で、あるものは事故で、まるで崇りにあってるかのように次々と人が死んでいくのだ。
 このままでは橙院家そのものが消えてしまう―――危惧に立たされた橙院家の女性に、突如縁談が舞い込んだ。周りは呪われた一族だと噂し距離を取っているのに物好きな家もいたものだと思いつつも、血の存続のためにと橙院家はその申し出を快諾し、娘を嫁がせた。
 すると、死の連続がぴたりと止まったという。
 それだけではない。一族のものが少なくなるにつれ痩せていた財産が瞬く間に増えていった。何をするにも成功し、栄光を掴むようになったとか何とか。 それから橙院家はその縁談を申し入れてきた某家と何度も婚姻を結ぶ。そうすると決まって繁栄が訪れる。逆に、縁談を断った場合はまた橙院家が窮地に追い込まれる災いが必ず降りかかるという。
 そんなずいぶんと出来の悪い昔話を唯一の真実のようにして、一護は家臣の中で一番偉いという年だけは無駄にとったらしい老人にこの屋敷へ来た一番初めの日に伝えられた。橙院家の唯一の生き残りであるからにはその務めをしっかりと果たせ、と。一護からすればおとぎ話でしかないその話を、この家の人間は誰もがみな信じ、恐れている。
 笑わせてくれる。一護は顔を歪めた。
 そもそも自分は“橙院家”など知らない。自分の名前はあくまでふた親から与えられた“黒崎一護”でしかない。権力にも繁栄にも興味なんてない。
 それに、家人の一人は一護を見て、言ったのだ。
 『呪われた子だ』と―――。
 聞けばそのおとぎ話の中では、橙院家には女性しか生まれないことになっているらしい。必ず橙院家は嫁いでいくように定められているのだ。
 それなのに男子が生まれたのは呪いだと、外の汚れた血を入れたからだと誰だか知らないがそう話すのが聞こえた。父と母を侮辱された怒りは決して忘れられるものではない。
 だから一護はこの二週間、何度も屋敷から脱走を図った。だがいくら一護が流魂街で鍛えたといっても数が来れば限界がある。おまけに性質の悪いことに、女子供や老人までも、本気で一護を止めにかかってくるのだ。力ずくで、というわけにはいかなかった。
 結局一護に残るのは外に一歩も出ることが叶わない、監視するような厭わしい視線が付きまとう窮屈な生活。さっさとそんな昔話、この家の全員が忘れてくれりゃあいいのに、と一護はひたすら願っている。
 息が詰まるような閉塞感に一護が両ひざに顔をうずめた時、この家には珍しくばたばたと騒がしい足音が聞こえてきた。
 何事だと思っているとその足音は一護の部屋まで向かって来、襖が勢いよく開かれる。
 「い、一護様…!」
 悲鳴のような声だった。屋敷にきてたった二週間ではあるが、初めて感じる緊迫感に否が応でも鼓動が速くなる。
 「た、大変でございます!御当主が、藍染家の当主様がいらっしゃいました!!急ぎ一護様にお目通り叶いたいと申しておりまする!!」
 嵐のような騒ぎを呼び込んだのは、橙院家の“許婚”である藍染家の来訪だった。







----------------------------------------------------






 かつて母に惚れていたという人の位牌の前で一体何を思って手を合わせればいいのだろう。一護は非常に難しい問題に立たされていた。
 突然やってきた藍染家当主とやらに半ば拉致されるようにして連れ出されたのがおよそ一刻ほど前。現れた男は一護が想像していたイメージとは全くかけ離れた風貌をしていた。―――正直に言えば一護は、母親が嫌がって逃げ出したくらいなのだから、藍染家の当主というものはかなり正確のねじ曲がったついでに外見もいただけないだけど金と権力だけは立派にある強欲爺、みたいなものを想像していたのである。なのに実際現れ藍染惣右介と名乗る男は真面目そうで涼やかな風貌に優しげな笑みを浮かべる、はっきり言ってしまえば男前であった。現当主がこれなのだから、母親の許婚であった前当主も決して醜男ではなかったのだろう。勝手な想像をしていたこと一護はこっそり反省した。
 その間に藍染は挨拶もそこそこに「ちょっと借りていくよ」といとも簡単に言い、状況についていけない一護の腕を引いて歩き出した。一護を外に出すのをあんなに嫌がっていた橙院家の者は誰も一言も文句を言わず、一体何なんだこの態度の差はと混乱しつつも橙院家を抜け出すことにほっとしていたら突然仏間に案内され仰天。挙句『亡くなった父に良ければ線香の一つでもあげてくれないかな』などと言われて一護は断固拒否をした。
 惚れた女に結婚式当日に逃げられた揚句他の男と作った子供に位牌を拝まれるだなんてどんな嫌がらせだよ、という一護の主張はきっと間違ったものではなかったと思いたい。
 だが藍染家の現当主はさわやかな笑顔できっぱりと言い切った。
 ―――大丈夫。君が来てくれて喜ぶことはあっても嫌がることは絶対ないから。うちの父はそういう男だ。
 どんな男だよ、と突っ込みを入れる間もなくそのまま穏やかな笑顔や言葉に流されて結局こうして手を合わせる羽目になってしまった。
 目の前にあるのは立派な仏間。作法なんて欠片も知らないから、線香をあげるにしてもいちいちびくついてばかりだ。当然まともな思考など持ちようもなく、両手を合わせて目をつぶっても、とりあえず恨まないでくださいなどというかなり不謹慎なことを思うだけで位牌に背を向ける。妙にいたたまれなかった。
 「…ありがとう。」
 ずっとこちらを見ていたらしい男は一護と目があうなり柔らかに笑った。そんなに嬉しそうに礼を言われるほどの大層なことはしていない。一護はますます身の置き所のない思いを味わう。
 「これで父に恨まれずに済む。…そうだ、一護君は甘いものは好きかい?」
 「え、嫌いじゃないスけど…。」
 「よかった。お茶を用意してるんだ。隣の部屋に行こう。」
 いやもうお暇させていただきたい。そう断るよりも先にさっさと藍染は移動を始め、致し方なく一護も後に続く。どうもペースに呑まれてばっかりだ。
 促されるままについていけば、立派な客間にきちんと席が設けられていた。恐る恐る用意された座布団に座ると老婆がやってきて無駄のない動作で温かいお茶を置いてくれる。この館の当主に似た人の良さそうな笑顔も当たり前のように一護に向けられた。
 「何か…。」
 思わず、声が漏れた。向かいに座っている藍染が問うように視線を投げかけてくる。
 一瞬誤魔化そうかとも思ったが、生憎上手く煙に巻くほどの技術もなかったので、一護は素直に先を続けた。
 「”あの家”とえらい違いだな、と思って。」
 「あの家って、橙院家のこと?」
 できればその名称は聞きたくも口にしたくもない一護は頷くことで返事に代えた。
 お茶を口に運ぶ一護の髪を開け放たれた襖から流れてきた風がふわりと擽る。客間から見える手入れされた庭は色とりどりの花が整然と並んでおり目を楽しませてくれる。
 多分、”あの家”にも綺麗な庭はあるのだろう。―――まるで意識したことはなかったが。
 やはり、藍染家は違う。勿論一護にこれまで余裕がないこともあっただろうが、与えてくれる印象や雰囲気が全く両家では違った。
 これ以上“あの家”に意識を囚われるのが嫌で、一護は自ら話題を変える。
 「あの、本当に大丈夫なんスか。」
 「何がだい?」
 「さっきの…お父さんのこと。俺なんかに線香上げられても嬉しくないんじゃないかと思って。」
 本気で一護は心配していたのだが、目の前の男は全く違う点に反応し、しみじみとした溜息をもらした。
 「いやはや…君にお父さんなんて呼ばれるなんて、きっとうちの父はあの世で泣いて喜んでるだろうな…。」
 「……。」
 聞けば聞くほど謎な父親である。
 呆気にとられている一護に向かって、藍染は自信たっぷりに微笑んだ。
 「さっきも言っただろう?大丈夫だよ。うちの父は本当に君のお母さんのことが大好きでね。例え他の男と逃げたとしても、真咲さんやその息子である君を嫌がるなんてことはありえないから。…知ってた?結婚式の日、真咲さんが実際に逃げるとき、手助けしたのは僕の父だよ。」
 「え!?」
 「真咲さんが幸せになれるんならそれでいいってね。橙院家の人は今でも信じてないから、君の耳に入ることもなかったかな?僕は小さい頃から本人に嫌というほど聞かされていたけど。」
 そんなこと初耳である。橙院家から語られる母の印象は「恩のある藍染家に後足で砂をかけるような勝手な真似をしたろくでもない女」である。だから一護は橙院家のやつらが大嫌いなのだ。
 でもその行動は、許婚である藍染家の当主が協力していたなんて。
 「…何というか、橙院家はどうもこちらの家のことを大げさにいえば神格化しているようなきらいがある。まぁそれも昔話のことを考えれば多少のことは仕方のないことなのかもしれないが…真咲さんや君のような人にとっては重荷だろうな。」
 確かに。藍染が一護を連れ出そうとしたとき橙院家の者は不気味なくらい大人しくそれに従っていた。あの話しぶりからするに、“神格化”という表現は強ち間違いではない気がする。
 「あの…。」
 「ん?」
 「藍染さんは、どう、思ってるんですか?昔話のこと。…両家が婚姻してから橙院家が栄えたとか橙院家には女しか生まれないとか、そういうの。」
 「そう、だな。僕個人の感想としては、あの昔話自体もかなり大げさに脚色されているとは思うよ。橙院家が栄えたのも、病気や事故が治まったのも、そういう時期だったんだろうし。女性しか生まれないっていうのも、ね。女性のほうが生まれやすいっていうのはあるのかもしれないけど、実際は伝えていないだけで男性も生まれていただろう。じゃなきゃ橙院家自体が存続しないはずだよ。」
 「…そっか。」
 無意識のうちに、一護は安堵の息を吐いた。
 一護とて、あんな昔話、馬鹿げたものだと思っている。けれども急に目まぐるしく変わった状況や、あの家の妙な雰囲気に気圧されている部分もあり、誰かの肯定が欲しかったのかもしれない。
 少しだけ解れた心で、勧められるがままに淡い色をした菓子に手を伸ばす。口にしたそれはほんのりと優しく甘かった。







----------------------------------------------------







 「―――おや、もうこんな時間か。」
 あれから一護と藍染は長い間話に興じていた。流魂街で親子三人で暮らしていたころ、他の人間、それも年上の男という人種は一護にとってかなり嫌いな部類に分けられていたのだが、藍染と話すのは苦ではなかった。
 藍染が望んだのと、一護も使い慣れていなかったこともあり、おざなりな敬語も話すうちにはげ落ちて、かなり乱雑な口調で話していたというのに藍染は「その方が君らしくていい」と笑い、どこまでも一護に対して真摯に、しかも優しく接してくれたからかもしれない。正直目上の人からこんな態度をとられたことがない一護は何度かむずがゆいような、面映ゆい思いを味わった。
 けれどそれは決して嫌なものではなく、だからこそ藍染のその言葉に驚くほど衝撃を味わった。
 「すっかり遅くなってしまったな。…そろそろ帰らないと向こうの人が心配するだろう。送っていくよ。」
 「…ッ!」
 まざまざと思い出される橙院家のこと。ほんの数時間あの場を離れていただけなのに、否、離れていられたからこそ、戻らなければならないと思うと身体が過剰に反応した。
 「一護君?」
 「あ、悪ィ…帰る。」
 戻りたくない。あんな居心地の悪い場所に、まるで監視されるようにしてまた閉じ込められるのは死んでも嫌だ。けれどもそれを口に出すことが叶わないのも知っていた。
 感情を押し殺して、のろのろと立ち上がる。今は、我慢を。一旦戻って安心させてから、隙を見て絶対に逃げ出してみせる。そう自分に言い聞かせる。
 ―――頼れるのは、もう、自分だけなのだから。
 部屋を出て行こうとした瞬間、思わぬ力で腕を引かれて息を呑む。反射的に振り払おうとしたのに、レンズ越しにひたと見据えられて身動ぎすら取れなくなった。
 「…帰りたくない?」
 とても大事な内緒話をするように、囁かれる。一護は硬直したまま瞬きを繰り返した。
 「君は橙院家が嫌いなようだ。―――もし、君が望んでくれるのなら、あの家に帰らずに此処にいればいい。人が多くて落ち着かないというのなら離れを君が使ってくれても構わない。橙院家には僕から話をしておこう。きっと、昔話に囚われている彼らは君がこの家で暮らすことを喜ぶことはあっても厭うことはないだろう。」
 「…何、で…?」
 どうして、藍染は。
 「何で、そこまでしてくれる?アンタと俺は初対面で、俺は何にも返せねーようなガキなのに…。」
 そう言うと、藍染は困ったように笑って首をかしげた。
 「…言っただろう?僕の父は君のお母さんのことが大好きで、その愛する人の子供が嫌がっているような場所にみすみす帰したらきっと恨まれる。流石に毎晩父に枕元に立たれて恨み言を言われるのは勘弁したいな。」
 そんなのは、ただの口実だ。一護の負担を減らすための、大人の言い訳でしかない。
 それがわかっているのに、甘えたくなる。どこまでも無力で子供な自分に嫌気が差して、一護は唇をかみ締めた。
 「どうしたいか、言ってくれ。」
 「やめ…。」
 「簡単なことだ。僕がきっと叶えてみせるから。」
 落ち着いた柔らかな声は一護の心を強く揺さぶる。腕を摑んでいた筈の手にそっと頬を包まれて、その掌の大きさに一護は泣きたくなった。
 「…何で俺こんなにガキなんだろ。」
 大人になりたかった。自分のことを何でも一人で片付けてしまえる立派な大人に。
 必死な一護の言葉に、けれども柔らかく藍染は首を振る。
 「大人だってそんな大層なものじゃないさ。子供が嫌だというのなら、それを利用することを考えなさい。大人に頼って踏み台にしていいんだ。君にはその権利がある。」
 「藍染さん…。」
 「橙院家に、帰りたい?」
 一護は迷って、しっかりと首を横に振った。帰りたくない。一度表に出してしまえば驚くほどその思いは強烈に一護の身体中を支配した。
 ぎゅ、と眉間にしわを寄せて、一護は藍染を真っ向から見据える。
 「此処に暫く置いてくれ、藍染さん。」
 「…喜んで。」
 「今は何もできねーけど…礼は出世払いってことにしてほしい。」
 泣き笑いのような顔でそう頼むと、藍染が快活に笑う。
 「期待してるよ。」
 柔らかく背中を撫でられて、ほうと息を吐いた。長く、長く。それは安堵の息だった。

 嗚呼、本当は。

 一護は思う。父も母もいなくなって。一人になって。必死で生きていたら突然わけのわからぬ大人たちに囲まれて。意に沿わぬ生活や価値観を押し付けられて。
 屈してなるものかと、生来の気の強さも手伝って目の前を睨んでばかりいたけれど。

 本当は。ずっと誰かにこうやって、縋りたかったのだ。

 誰かの温度を感じて安心するのは久しぶりだと。一護は目を閉じて、無意識のうちに小さく笑った。









本当に好き勝手して申し訳ありません。
そして放置しすぎて続きを忘れるという暴挙。自由にも程がある!








SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu