My precious child!



6、The strongest knight

 その日の仕事を終えてすぐに砕蜂は上司の屋敷へと向かった。勿論、夜一が引き取った子どもに正式に挨拶をするためである。
 神とも崇める敬愛してやまない夜一と血が繋がっていないとは言え、後見人になるほどにまで気に入った子どもだ。それだけで十分砕蜂にとっては一護に敬意を払う理由になる。
 夜一の隣にちょこんと座った一護に、砕蜂は深々と頭を下げて見せた。
 「私、護廷二番隊隊長及び夜一様の副官を務めさせていただいている砕蜂と申します。以後お見知りおきを、一護様。」
 生真面目なその様子に、夜一は呵々と笑う。一護も突然目の前で平伏した砕蜂に戸惑いを隠せぬようだった。
 「相変わらずじゃのう、砕蜂。一護相手にそう畏まる必要はないわ。」
 「ですが・・・。」
 「こんな幼子にそう丁寧に接すれば下のものに見くびられる。それに心配は無用かと思うが、そんなことをされて一護が傲慢な人間に育ったら困るのじゃ。第一、一護はこれからお主らにものを教わる立場じゃぞ?」
 そう言われても、砕蜂にはこうする以外にどう一護に接してよいのかわからない。己の中の夜一の存在が大きすぎることが問題なのだろうが、これはもう刷り込みみたいなものでどうこうできるものではないのだ。
 考え込んでしまった砕蜂の傍に一護が歩み寄る。目の前に正座して、先程砕蜂がやったように頭を下げた。
 「ええと・・・こちらこそよろしくおねがいします。それから、おれのことは"いちご"でいいよ?おねえちゃん。」
 にこりと微笑まれて、つられるように砕蜂も笑った。親しげに話しかけてくれる様子に、自分も同じようにすればいいのだと無言の内に教えられ、恥ずかしいやら感心するやら、だ。
 随分と、素直な子どもらしい。夜一が気に入り後見人にまでなる理由が少しわかったような気がする。
 「主従としての関係を結ぶより、一護の友になってやってくれ、砕蜂。」
 「おともだち!」
 夜一の提案する"友"という言葉を聞いて、余程嬉しかったのか、一護の大きな目がキラキラと輝いた。砕蜂は微笑みながらそれに頷く。
 しかし例え友のように親しげに接するとしても、敬意の気持ちだけは忘れないようにしようと心に決めた。そうするに値する幼子だと。
 「わかった・・・一護。私のことも砕蜂と呼んでくれ。」
 「うん、そいふぉん。」
 初めて撫でた橙色の頭は、色に似合ったとても温かいものだった。

 * * *

 「それでな砕蜂。ちと頼みがあるんじゃが・・・。」
 「は、何でありましょうか。」
 早速友達ができたと喜ぶ一護を寝かしつけた後、夜一は真剣な顔で砕蜂に切り出した。
 「明日から一護は殆どを護廷で過ごすことになる。儂の傍で勉強をさせたかったが隠密機動隊はまた特殊じゃからの。」
 「はい。」
 「そこで儂が見ていられぬ間、一護に余計なことをする輩がおらぬか見張っておいてほしいのじゃ。四楓院家の庇護を受けた一護に嫉妬して手を出す輩がおらぬとも限らぬし・・・何より隊長格が妙な奴ばかりじゃからのう・・・。」
 「ご尤もです」
 一護を大切に思うのは己も同じ。砕蜂は己の胸をどんと叩いた。
 「お任せください、夜一様。この砕蜂、命に代えても一護の安全を守ってみせます。」
 「うむ。何かあったらすぐ儂に知らせよ。直々に手を下してくれるわ。」
 「はっ。」
 余計なところでも息の合ったところをみせる主従コンビであった。






7、Unexpected development

 「浦原隊長、お客様がいらしてますよ?」
 十二番隊の女性隊員が、妙にニコニコと笑顔を浮かべながら浦原にそう告げてきた。
 ここ最近の睡眠時間は不足気味で昨日の夜とどめのように徹夜した浦原は呻くような声で返事をし、よろよろと客室へ向かう。背中に「とても可愛らしいお客様でした。」という声を聞きながら。

 * * *

 客室で待っていた一護の姿は浦原の眠気を一気に吹き飛ばした。
 来客用にと用意された大きなふかふかのソファに小さな身体が埋もれるようにして座っている。前にはマグカップが置かれ、中にはこげ茶色の液体。甘い匂いから察するにあれはココアだろう。眠気覚まし用のコーヒーしかないと思っていたのに、一体どこからココアなんて用意したのか。
 女性隊員があんなに嬉しそうにするわけだ。突然訪ねてきた笑顔を絶やさない少し眦の下がった愛らしい子どもは母性本能を喚起するに十分な存在だっただろう。
 一護は浦原の姿をみとめると嬉しそうに笑った。
 「うらはらさん?」
 「え、ええ。そうですよ。」
 こんなにもまっすぐな笑みを浮かべられた経験など心当たりがない。あまりの眩しさにくらりと眩暈を覚えた。
 一護は浦原の戸惑いに気付かずにごそごそと懐を漁り、ようやく目当てのものを見つけるとそれを目前に突き上げる。
 ライオンの、ぬいぐるみ。
 「これ、どうもありがとう!!」
 それは浦原が徹夜をする羽目になった原因そのものであり、朝一で一護に届けたものだった。
 こんな形状ではあるものの、昨日の会議で総隊長に請け負った新型の霊圧制御装置である。
 「お気に召していただけました?」
 「うん!うらはらさんすごいね!このぬいぐるみしゃべるしうごくし!」
 「おいコラ一護!俺はぬいぐるみじゃねぇって言ってんだろが!」
 一護の腕の中でじたばたとライオンがもがく。一生懸命頬を叩いて抗議しているが、綿のたくさん詰まった腕では効果はないだろう。
 事実一護はライオンの抗議を全く聞いていないようで、浦原をきらきらと輝く目で見つめている。まさかここまで感動してもらえるとは。その反応は、普段新たな発明品を作っても当然と思われるか若しくはまた妙なものを作ってと苦い顔をされるかのどちらかだった浦原をいたく満足させた。
 二人とも、何故ぬいぐるみが喋って動くのかという基本的な問題には頓着していない。
 実を言うと霊圧制御装置自体は昨日の夜早くに完成していた。伊達に浦原も技術局長は名乗っていない。しかし早くできた分、そこで研究者としての拘りが出てきたのである。
 まず外見。前回と同じく紐ではつまらないし、いかにも装置といったごつごつした見かけも以ての外だ。子どもが常に傍にいても怪しまれないもの、かつ子ども自身も気に入ってくれそうなものがいい。そう考えた末にぬいぐるみを選択した。
 ついでにどうやら幼馴染も総隊長もやけにこの子どもを気に入っていたようだったから、そのぬいぐるみに破棄寸前の改造魂魄をちょっといじって入れてみた。果たして綿と布でできた身体でも動いてくれるのかという心配はあったが、反応があったので嬉々として箱に詰め包装したのである。
 改造魂魄をいじるときに刷り込みとして与えた命令が、「常に黒崎一護の傍に付き、その安全を守ること」。
 護廷の中で過ごすとは言え、この場が常に安全とは限らない。愛らしい容姿に四楓院家の保護まで得ているのだ。どこかの馬鹿が誘拐なんてものを企るかもしれない。
 つまりそんなことをしてやるくらいには、昨日あったばかりの子どものことを自分も気に入ってるんだろうなぁと思って浦原は苦笑した。
 「ずっと持っていてくださいね?そのぬいぐるみは一護さんと一緒に居れば居るほど喜びますから。」
 「うん!いっしょにいる!!」
 ぬいぐるみをぎゅっと抱き締めながら、一護は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
 「だってうらはらさんがプレゼントしてくれたんだもんね!」

 ―――かっ、かわいい・・・!!

 一護のまっすぐな笑みとまっすぐな言葉は浦原の心を見事に打ち抜いた。
 子どもなんて面倒なものでしかないと思っていたが、今目の前で薔薇色に頬を染めた橙色の髪の子のことは素直に愛しいと思える。あの斬魄刀も幼馴染も可愛がるはずだ。
 浦原はその感動のまま一護に抱きつこうとした。己の両腕に子どもを閉じ込めてその頭を撫でてやりたい、と。
 しかし。
 「痛ッ!」
 唐突に額に衝撃を感じ、浦原はその場にうずくまる。地味に痛い。
 何だこれは、と思った瞬間、傍らにころころと転がる薬瓶が見えてそれを投げつけられたのだということがわかった。
 投げつけたのは誰か。
 「てめぇ!一護に近づくんじゃねぇ!!」
 答えは、一護の腕の中のぬいぐるみ、だ。
 「だめだよぬいぐるみ!!うらはらさんにそんなことしちゃ!!」
 「俺にはお前に近づく変態を一掃するっていう神から賜った使命があるんだよ!!お前もほいほい危ない奴に近づいて行ってるんじゃねーぞ一護!ほら、とっととこんなとこ出てく!!」
 「うえぇ?ご、ごめんねうらはらさん!!」
 ぬいぐるみに急かされるままに一護は部屋を出て行ってしまった。浦原は暫くその場にしゃがみ込んでいたが、その口から低い笑い声が漏れてくる。恐ろしさのあまり、たまたま部屋に入ってこようとしてた隊員が怯えて逃げて行ったほどだ。
 こんな屈辱は久々だった。まさか己が造り命を与えたものに歯向かわれるとは。
 そもそも改造魂魄は死神が望む理想的な性格をもつものばかりな筈である。それがあんなに強い自我を持ってしまったのは元の性質のせいなのか、それとも浦原がいじってしまったせいなのか。
 「まぁそれはどうでもいい・・・。」
 ゆらり、と浦原の霊圧が揺れる。
 「アタシと一護さんの邪魔をしたこと、後悔させてあげましょう・・・!」


 後日、一護の知らぬところでこっそりと、浦原曰く"天罰"を与えられた哀れなぬいぐるみの叫び声が聞こえたらしい。






8、Please call my name

 浦原の部屋から出てきてずっと、むっつり黙っているぬいぐるみに一護は必死に話しかけていた。
 話しかける、というよりは、ただの説教だ。先程の礼を欠いた行動に怒りを覚えているらしい。
 「だめだよぬいぐるみ!ものなんてなげちゃ!うらはらさんはぬいぐるみをプレゼントしてくれたひとなんだからね!」
 「けっ、んなわけねーだろ。俺はあんなむさいオヤジに命令受けた覚えはねーや。」
 覚えがなくても事実一護を守れという命令を下したのは浦原なのだが、身体を与えられたばかりのぬいぐるみはその辺りの記憶が有耶無耶になっているようだ。
 唯一はっきりと覚えていることは、とにかくこの少年を守り傍に居ること。
 破棄されるはずだった自分に与えられた生きる理由である。ぬいぐるみは何が何でもその使命だけは果たしてみせると息巻いていた。創造主に身の程知らずの攻撃を仕掛けるほどに。
 「もー、ぬいぐるみ・・・。」
 「ストップ一護。」
 「?」
 きょとんと一護は口の動きどころか身体の動き全てを止めてぬいぐるみを見る。どこか真剣な顔(ぬいぐるみだからそう表情は変わらないのだが、何となく雰囲気だ)をしたライオンは腕を振りながら言葉を続ける。
 「そのぬいぐるみっていうのやめよーぜ。」
 「?」
 「だーかーらー、何か俺に名前付けろよ。お前が。」
 「・・・名前。」
 何でもいいから、と言われ子どもの目が輝いた。ぬいぐるみに覚えていた怒りなんて一気に吹っ飛んでしまう。
 名前をつけるなんて初めてのことだ。特別なことのように思えてドキドキと胸が高鳴る。
 名前。このライオンのぬいぐるみに相応しい名前を。
 結局一護はその場に座り込んで、知恵熱が出そうなほど頭を悩ませた。うんうんと唸り声が小さな口から漏れている。
 ぬいぐるみはそんな一護の膝上にへばりついて首を傾げた。
 「そんな悩むなって。よっぽどひどい名前じゃなきゃ笑わねーからよ。まぁできれば俺様に相応しいかっこいいのがいいけどな。」
 悩むなといわれても。突然名前を付けろと言われた一護には無理な話である。
 一護はふと数日前まで住んでいた村のことを思い出した。斬月と二人で住んでいた家の近くにあった、4人家族のことを。父親と母親と娘二人の仲が良かった家族。よく斬月と一護のことを気にかけてくれた。
 毎日のように遊んでいた、一護とあまり年の変わらない娘二人が大事にしているぬいぐるみがあって、それに名前をつけていなかっただろうか。
 そう、確か。
 「・・・コン?」
 「コン?」
 恐る恐る口に出した名前にぬいぐるみは反応した。暫く口の中でもごもごと繰り返し、感触を確かめている。
 「・・・コン、コンねぇ?ま、悪かねぇかな。」
 「ほんとう?」
 「おう!それで我慢してやらぁ!」
 そう答えたぬいぐるみ―――コンの顔がまんざらでもないようで、一護は安心して笑った。
 実はその『コン』と名の付けられていたぬいぐるみは可愛らしいピンク色のきつねのぬいぐるみだったのだが、初めて名をもらえたことに喜ぶぬいぐるみと初めて名前をつけそれを喜んでもらえたことを嬉しがる少年には些細な問題である。

 何はともあれ、名前、決定。




9、Exception

 全くもって、ついてない。
 檜佐木は一番隊への書類を持っていく途中、廊下の真ん中で立ち止まったまま溜息をついた。
 視線の先には、庭で木を熱心に見つめている子どもの姿。橙色の髪の毛が眩しい。
 (何で早速会っちまうんだ・・・。)
 護廷で子どもの面倒を見るらしいということは朝に東仙隊長から聞いていた。
 いつの間に護廷は託児所になったんですか、とか、あんまり育児に適した環境ではないと思うんですけど、とか、思うことはいろいろあったが、山本総隊長と刑軍統括軍団長の連名で出された命令である。各隊の隊長もそれに同意しているとあっては、檜佐木一人の力でどうこうできるものではなかった。
 拒否権がないことはわかっていたから、その子どもには近づかないようにしようと心に決めていたのに。
 護廷には十一番隊の草鹿やちる以外に子どもはいない。つまり、間違いなく目の前にいる橙色が件の少年であろう。将来性と四大貴族の庇護を兼ね揃えた存在に、間違っても危害を加えるわけにはいかなかった。
 そう、例えそれが無意識・不可避なものであったとしても。
 自慢ではないが、檜佐木は子どもから好かれた試しがない。顔を見れば、泣かれる。近づけば、逃げられる。
 そして檜佐木自身も子どもが苦手だ。あんなに小さくて頼りなくて、おまけにどういう思考回路を持っていて何を言いだすのかわからない生き物に気安く接することなどできなかった。
 お互い嫌いあってるから、溝が埋まることもない。生まれつきの強面と、それから檜佐木のもつ苦手意識を敏感に嗅ぎ取って子どもからは振られっぱなしだった。
 その子どもの一人が、今近くにいる。
 檜佐木の取るべき道は一つだ。かねてからの予定通り、子どもの姿を見なかったものとしてこのまま通常業務に戻る。今後も出来る限り会わないように避け続ける。
 単純に言ってしまえば、"逃げ"である。
 お互いの安全のためにもすぐさまそうするべきなのに、どうしてかこの足は動かない。
 少年がいけないのだ。何があったか知らないが、途方にくれた顔で木の上を見上げているから。身体全体から悲しげなオーラを発しているから。
 それをこのまま見て見ぬふりをして去っていけば、後悔する気がする。多分、声をかけて泣かれるよりももっと。
 ならばいっそぶつかって玉砕するほうが己らしいだろうと、檜佐木は覚悟を決めて庭先に下りた。
 「・・・おい、そこで何してやがる。」
 声を出した瞬間後悔の波が襲う。どうしてこうも怯えさせるような言い方しかできないのか。しかしもう檜佐木の声は空気を伝って少年に伝わってしまった。
 びくりと肩が震えたかと思うと、次いで大きな目が檜佐木の姿を捉える。
 薄茶色の瞳は驚いたように瞬いたけれども、心配していたように怯えの色を映したり涙を溢すことはない。ただ、困ったように情けなくも眉を八の字に下げた。
 「・・・コンが。」
 高い声。檜佐木は子どもの反応を新鮮に感じながらも注意深く耳を傾ける。
 「こん?」
 「コンが降りれなくなっちゃったんだ。」
 少年が指差すままに視線を移せば、高い木のてっぺんにぶるぶると震えながらしがみつく茶色い物体が見えた。
 「い、一護〜!早く助けてくれ〜!!」
 ―――ぬいぐるみが、動いて喋ってついでに涙を浮かべながら助けを求めている・・・?
 信じられぬ光景に暫し唖然としながら子どもに問うと、アレは浦原隊長から贈られたものであることが判明した。成程、道理でただのぬいぐるみじゃないわけだ。随分前に先輩死神から「こっちの世界の不思議は大概技術開発局の連中が原因だぜ。」と有難い忠告をしてくれたことを思い出す。その言葉は実に正しいものだったらしい。
 ついでにコンというぬいぐるみは自力で今の状況を招いたのではなく、移動中の一護の肩にへばりついていたところ、突然浮遊感を感じ気がついたら木の上にいたらしい。勿論一人で身体が浮くわけがない。犯人は珍しいものを見つけ好奇心に動かされた猫だった。が、突然変化した状況にコンは気が狂ったかのように暴れ、ただのぬいぐるみだと思っていた獲物に思わぬ抵抗を受けた猫は驚いて木の上にコンを置いたまま逃げていってしまったとのことだった。
 所詮ぬいぐるみであるのだから落ちたところで怪我をするとは思えないが、自我がある分恐怖心が邪魔をするのだろう。降りることも動くこともできず高い木の上で怯えているコンを見て、一護もまるで自分が同じ目にあっているかのように顔を歪めた。
 事情を聞いたからには手を貸さないわけにはいかない。しかし、木の高さは長身の檜佐木が腕を伸ばしたとしても少々足りない程だ。傍に踏み台になるようなものも置かれていないし、取るべき手段は一つしかないようである。
 (仕方ない。)
 あまり近づきたくはないのだが、と思いつつ、檜佐木は一護の背後に移動した。
 「・・・おい、暴れるなよ。」
 「え、ぅわぁっ!」
 小さな身体を両腕で持ち上げる。これだけ頼りない見かけなのだから軽いのだろうと思っていたが、檜佐木が思った以上に少年の身体はずっしりとした重みがあった。子どもとはいえ、人一人分の重さなのだから、当たり前だ。
 そのまま一護の身体をできるだけ高く木の傍へと寄せれば、驚きながらも状況を把握した一護が手を伸ばす。コンに触れるか触れないかの所にまで伸びたその手がぬいぐるみの身体に達するよりも早く、コンの方が一護の腕の中へと身を躍らせた。
 「いっちぐぉ〜!」
 「コン!」
 「怖かったー!めちゃめちゃ怖かったぞおい!!」
 こうして見事少年とぬいぐるみは、救出劇を終え感動(?)の再会を果たしたのである。
 しっかと抱き合う二人とテンションの差を感じながら、とりあえずその身体を地上へと下ろしてやった。怪我もさせなかったし泣かせもしなかったし手も貸せたし、思っていたよりも穏便にこの場を切り抜けられたようだ。ぬいぐるみは滂沱の涙を流しているが、それは檜佐木のせいではないから問題ではない。
 (・・・さて、書類を届けねぇとな。)
 目の前の問題が片付いたところでようやく己の仕事を思い出し、再び一番隊へ向かおうとした檜佐木を止めたのは勢いよくぶつかってきた高めの体温だった。
 「!?」
 子どもの身体が、必死の様子で足にしがみついている。思わぬ事態に檜佐木は身体を硬直させた。
 埋められていた顔が上げられて、子どもの表情が檜佐木の視界に入る。
 一点の曇りもない、満面の笑み。
 「コンをたすけてくれてありがとう!おにいちゃん!」
 「・・・・・・ッ!!」
 素直すぎる礼の言葉になぜだか檜佐木は赤面した。滅多に顔色を変えない男の今の変化を、同僚辺りが目にしていたら目を丸くしたことだろう。
 「・・・仕事があるから戻る!」
 檜佐木は子どもの身体を引き剥がすと、それだけを言って歩きはじめる。まともな受け答えもせずに逃げ出すように去るなんてどこの社会不適応者だと己を罵りながら。
 今の態度で傷つけてしまったかもしれない。折角あの子どもは自分に怯えなかったというのに。
 廊下の角を曲がる前、檜佐木は一度だけ振り返った。
 子どもは先程と同じ場所に立っており、目が合ったかと思うと嬉しそうに手を振りはじめる。ぴょんぴょんと飛び跳ねるようなそれにつられて檜佐木も手を振ればますます嬉しそうに笑うのが見えた。
 ―――子どもも、そう悪いものではないのかもしれない。
 少なくともあの橙色の子どもについては、先程まで心に決めていたように無理に避ける必要はないだろうと、それどころか次に会うことを密かに楽しみにしていることを自覚して、檜佐木はひっそりと笑みを浮かべるのだった。






10、Wishful thinking

 にこにこと、十三番隊全体に笑顔が溢れている。その笑顔の中心にいるのはまだ幼い少年だ。
 橙色の髪の毛に大きな目。背中にはライオンのぬいぐるみが張り付いていた。小さな身体で書類の束を落とさないように抱き締めながら、一生懸命大人たちの間を通り抜けていく。その腕にはぶかぶかの副官章がピンセットで留められていた。
 「黒崎副隊長!」
 「はあい!」
 十三番隊員の一人であるルキアがそう呼べば、返ってくるのは元気一杯の声と笑顔。あまりに微笑ましい様子にますます周りは笑みを浮かべるばかり。
 存外子ども好きの浮竹隊長が一護を一日副隊長にしようなどと言い出したときには一体どうなることかと思ったが、こんなに素直で可愛らしい上官なら大歓迎だ。特に女性隊員たちからは大変な気に入られようで、処理済みの書類運搬を任された一護に笑顔で「おつかれさま!」と言われたいがために必死になって仕事に取り掛かっている。
 そんなことになっているとは露知らず、仕事を任されることが楽しくて仕方ない一護はルキアから渡される新たな任務の説明を聞き入っていた。
 「その書類を今から浮竹隊長の元へ持っていくのだろう?」
 「うん!」
 「ならばついでにこれも渡しておいてくれ。」
 ルキアから渡されたのは小さな紙包みである。中身のわからないそれに首を傾げはしたものの、一護はこくんと頷いて紙包みを書類と一緒に大事そうに抱えた。
 「うきたけさんにわたせばいいんだね!」
 「うむ、頼むぞ。」
 「わかった!」
 「だーいじょうぶ!俺がへましないようにしっかり見張っとくぜ、姉さん!」
 「へまなんてしないもん!」
 ルキアから笑顔で見送られ、一護はコンとじゃれあいながら雨乾堂へと足を向けた。

 * * *

 「うきたけさん!」
 「おお!一護。」
 「おしごともってきたよ!!」
 勢いよく扉を開けた一護は促されるままに浮竹の膝に乗り上げて、ここまで大事に抱えてきた書類を浮竹に渡す。しっかり抱き締めていたから少し皺になっていたが大した問題ではない。浮竹は丁重にお礼を言ってその頭を撫でてやった。
 大きな手で撫でられるのが気持ちいいのか、一護はへにゃりと笑み崩れる。
 「ええと、あとね。ルキアがこれをうきたけさんにわたしてくれって。」
 書類と一緒に持ってきた紙包みの存在を思い出し、一護はそれも浮竹へと渡した。
 反射的に受け取ったが、書類をもらった時とは違い浮竹は苦笑のような、あまり嬉しくなさそうな笑みを浮かべる。一護はそれを見てまたもや首を傾げた。
 中身は知らないが、厳重に包まれているそれは多分大事なものなのだろう。それなのに、何故そんな顔をするのか。
 「うきたけさん?」
 「いや、ありがとう一護。これは・・・俺の薬だな。四番隊からもらってきてくれたんだろう。」
 薬、と聞いて一護の顔も嫌そうに顰められた。その素直な反応に浮竹が声をあげて笑う。
 「いい年してとは思うのだが・・・やはり幾つになっても薬を飲むのはいい気がしないな。」
 「うきたけさんどこかわるいの?」
 「生まれつき身体が少し弱いだけで大したことはない。」
 悪化すれば十分命に関わる病をそんなに簡単に片付けてはいけないのだろうが、幼い子どもをむやみに不安にさせるのは本意ではない。浮竹は心配させないよう、満面の笑みを浮かべる。
 じっと話を聞いていた一護は、何を思いついたのか、おもむろに懐を漁りだした。突然の行動を疑問に感じながらも浮竹は口を挟まず様子を見守る。
 目当てのものが見つかったらしく一護の表情が輝いたと思うと、小さな手が浮竹へと差し出された。
 「これは・・・?」
 その掌に乗っていたのは、一護の髪の色と同じ、オレンジ色の小さな飴玉。
 「飴?」
 「うん!うきたけさんにあげる!」
 邪気のない顔で子どもが笑う。
 それを向けられるだけで、身に巣くう病気が癒されていくような、そんな笑み。
 「おくすりのんだあとにね、これたべるとおいしいよ!」
 薬を飲むことを嫌がる浮竹を気遣ってくれたのだろう。菓子を与えるのは自分の専売特許なのだが、と思いながら浮竹は有り難く飴を受け取り、お返しにとばかりに小さな身体を抱き締めた。

 * * *

 夕方、迎えが来て一日だけの副隊長が帰ってしまった後。
 「・・・一護が成長したら、本当にウチの隊の副隊長になってもらえないかな。」
 本心から呟かれた言葉に、一日ですっかり一護のファンになった女性陣やいつもよりはかどる仕事に感激した側近たちは思いっきり頷いた。
 いずれ願いが叶うまでと、一護の渡したオレンジ色の飴は、浮竹の引き出しの中に大事そうにしまわれている。



11〜15話へ続く







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